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CERAMIC STORIES

そりゃあ毎日タイヘンだ。モノづくりが好きだからって、
仕事は楽しいことばかりじゃない。でも、
「世界で、まだ誰も見つけたことのない答えを探しにいく」
「1を10,000にするために妥協はしない」と語る若者たちの目は、
なんだかとてもオモシロそうに輝いている。
そのワケを、是非とも探りたくなった。

PERSON.1

PERSON.1

開発って、地図も無く
ゴールを目指す
旅のようなもの。

O.M / 技術開発

2010年入社 東京農工大学大学院 修了

大学院では薄膜成長の研究に従事。超電導の薄膜を形成する過程にて、材料の基礎的な特性を観察し、原理解明に熱中する日々を送った。就活時には「開発に没頭できる環境に身を置きたい」との理由でMARUWAを志望。現在は、次世代の材料として期待される窒化ケイ素基板の開発に専念する毎日。

暑くるしい夏、2010年。

暑くるしい夏、2010年。

作業室のドアをあけると、とたんにムワッっとした熱気が顔面を襲ってきた。暑い、たまらなく暑い。「いいかげん、エアコン付けてくんないかなぁ」と、私は誰に語りかけるでもなく愚痴をこぼした。しかし答える人はいない。それもそのはず、作業室にはいつものとおり、私一人しかいないのだ。

2010年夏、入社1年目の私は、セラミックシートを成形するための作業室にこもり、
新材料を使ったセラミック基板の開発に悪戦苦闘していた。

新材料とは、窒化ケイ素のことだ。窒化ケイ素という材料の特性は高い強度にある。当時から、セラミック基板の人気モノといえばMARUWAが世界NO.1のシェアを持つ窒化アルミニウム(AlN)だが、窒化ケイ素の強度はAlNの約2倍。特に自動車産業において、「電子回路基板の壊れにくさ」は自動車の信頼性に直結する。そのため、より強度の高い次世代セラミック基板の開発はもはや、セラミック業界全体が負っている使命であり、私が開発を担当する窒化ケイ素基板は社内外を問わず大きな期待をかけられていた。

さて、工法は何万通りあるか?

さて、工法は何万通りあるか?

しかし、これがとてつもなく難しい……。セラミック基板の作り方を知っているだろうか。すごく簡単に言えば、粉末材料を混ぜ、添加剤を混入して粘土状にし、下敷きのようなシート状に成形し、炉で焼成する、以上終了。

これが、言葉ほど簡単じゃない。セラミックは条件によって最終的な特性が大きく左右される。つまり…粉末を何回混ぜたのか、どんな添加剤を何種類混ぜたか、その分量はどれだけか、他にも、いくつもの条件の組み合わせを無数に繰り返し試し、その中から、狙い通りの強度や放熱性といった特性を出現させるたった一つの条件を見つけ出さなければいけない。

まるで、地図も持たず、見たことも無いゴール地点に向かって旅をするようなものだ。当時の私が途方にくれていたことが、分かってくれるだろうか。

最高の妥協点を目指して走るのだ。

最高の妥協点を目指して走るのだ。

夏が過ぎ、あっという間に冬が来た。MARUWAの研究開発施設は、寒さも厳しい。外気温がマイナス18度を計測する日もある中で、私は一人、作業室に閉じこもって
ため息交じりの白い息を吐き出しながら、あらゆる組み合わせを試す日々を続けていた。

研究者の間でよく言われている言葉がある。「最善の答えは絶対に見つからない、最高の妥協点を見つけるのだ」と。私の状況も同じだった。何万通りもの組み合わせが考えられる条件の中から、最高の妥協点を見つけようともがいていた。ときには、何度試してもひび割れてしまうセラミックシートに落胆した。そうかと思えば、これはダメだろうと思った選択肢が、理想に近づく一歩だったこともあった。

気づけば、2年という月日が流れていた。
そうしてようやく、私の「最高の妥協点」が見つかったのだ。

ゴールだと思ったらスタートだった。

ゴールだと思ったらスタートだった。

初期製品として、どうにか形にできたのは2013年のことだ。しかし、当初に目指した強度、放熱性を兼ね備えた窒化ケイ素基板ができあがったとき、私の胸には不思議とそれほどの興奮が無かった。何故なら、これからの課題が山積みだったからだ。初期製品に対し、お客様からは改善点が次から次へと舞い込んだ。そして、これから何万枚という数を量産していくためには、工程に改良の余地がまだまだある。

製品は世に出せた。ただ、それがゴールではなかった。もっと特性を高め、製品として安定流通させていくために、越えなければならないハードルが無数に見えてきてしまった。だから私は今でも、まだ見ぬゴール地点を目指し、作業室に通う日々を続けている。パッとドアを開ける。すると、私を出迎えてくれたのは、エアコンの効いた快適な室内の空気と、ともに開発に挑む仲間たち。

うん、物ごとは少しずつ進歩している。

PERSON.2

PERSON.2

「1」を「10,000」に
変えるヤツ。

H.T / 品質保証

2011年入社 名古屋工業大学大学院 修了

大学院では、アルミナセラミックの研究に従事した。粉末形状の材料からセラミックシートを形成し、焼成する。奇しくも、MARUWAの事業とまったく同じ作業を小規模で行っていた。入社後はマレーシア工場で製造技術を担当し、スケールの大きな製造現場にて経験を積んだ後、帰国。現在に至る。

オレ、また現場から嫌われる。

オレ、また現場から嫌われる。

「PRRRR…」。さっきから、電話の向こうでは呼び出し音がずっと鳴り続けていた。
でも、相手はなかなか出てくれない。うーん、こりゃあまた、嫌われちゃったかな。

セラミック基板製造現場で生産量や製品の品質を管理する、それが私の役目。現場では、例えばこんなことがある。

製造現場で、何かのトラブルが発生したとしよう。そうすると、まず私に連絡が入ってくる。事態を把握するためには、まず聞き取りだ。「どんなトラブルが、どこで、いつ、どうやって起こったのか?」電話でやり取りを交わしながら、急ぎ足で現場に直行する。

現場に着いたら、さらに調査を重ねる。製品に問題は出たのか?設備は壊れていないか?そもそも、何が原因だったのか?現場の製造担当者とともに、一つひとつ、事細かに調査しデータを収集していく。その収集したデータからトラブルの重大さを解析して製造を続けるか止めるかの判断を迫られる。一刻も早い原因特定と対策が必要なのだ。

収集した大量のデータを基にトラブルの原因を特定し、二度と同じ問題が起きないように改善案を考案する。そして、私の考案した改善案が新しいルールとなり、現場にフィードバックされる。

このように、現場にとって私からの連絡は、常に何かの問題提起をはらんでいるわけだ。敬遠されちゃうのも、当たり前なのかもしれない。

「1」が「10,000」になるまでの苦闘。

「1」が「10,000」になるまでの苦闘。

セラミック基板の量産体制を確立させるには、言い表せないほどの苦労がある。スタートは開発部門からの「レシピ提供」だ。開発の方々が何年もかけて作り上げた
セラミック基板の作り方を、現場が受け取る。そこには、粉末を混ぜる回数や必要な添加剤の種類・分量、焼成炉へ投入する際の、セラミックシートの並べ方まで、事細かな記載がある。それをもとに量産をはじめていくわけだが、ちょっと想像してほしい。開発段階で1枚だけ作ったときの作り方と、量産段階で10,000枚製造するときの作り方、どうしたって違いは出るのだ。「開発のレシピどおりに作ったのに狙いどおりの特性を持ったセラミック基板ができない!」なんてこともある。

すると私は、開発からもらった「レシピ」を片手に開発室へ駆け込む。(どういうことだ!)と言いたい気持ちをそっと胸にしまい、どうすれば安定的に量産できるのか、ディスカッションを重ねていき、チーム一丸となって問題を一つずつ解決していく。このように、初期の量産段階で新たな問題が生まれてくるケースもあるのだ。

その解決策を現場へ持ち帰り、新たな製造ルールを構築していく。
私の毎日は、そうしたことの繰り返しだ。

モノに向き合う前に、人と向き合う。

モノに向き合う前に、人と向き合う。

今では、私が現場で何か書類をガサゴソ探している場面があると、周りのみんなが「また何か起こったのかも…」と、遠巻きから恐々と見ている光景が当たり前になってしまった。

でも、これは大事なことだ。そして、そういう仕事を楽しんでいる自分に気づく。自分が徹底したルールがきちんと現場で守られているのを見ると、この仕事の成果を感じるようで、そこはかとない満足感がある。

製造現場での課題を解決するために、現場・開発と、いろんな部署のいろんな人と話し、データを集約していく。

「1」を「10,000」に変えていくために、人と向き合うこの仕事が、私には合っているのだと思う。