INTERVIEW 01

材料開発

1998年新卒入社

CHAPTER 01セラミックの研究に明け暮れた学生時代

セラミックに関心を抱くようになったきっかけを振り返ると、「粉をいじって実験するのが好き」という、単純な好奇心が原点だったような気がします。正直、セラミックがこれほどまでに未来社会に寄与できる素材に成長するとは、想像していませんでした。

大学の4年次から大学院にかけての計3年間、セラミックに関する研究室で研究に没頭。実験やレポートなどやらなくてはいけない事は山積し、研究が深夜に及ぶこともありました。しかし、苦痛に感じることはなく、時には仲間とワイワイ楽しみながら、夢中になって取り組んでいました。

卒業が近づき、就職活動を始めたばかりの頃、研究室の教授を通じてMARUWAへの入社について声を掛けていただき、採用試験を受けることにしました。同じ研究室から、代々先輩たちがMARUWAに入社し、活躍されている様子を伝え聞いていたので、どのような企業かということは何となく認識していましたし、大好きな研究を続けられることもあり、諸先輩方の後を追いたいという思いで入社を決めました。

CHAPTER 02会社のためではなく、未来の役に立つ人材に

入社後、はじめて土岐工場に足を踏み入れた時は、その大きさに圧倒され、奮い立つような気持ちになったことを今でも覚えています。

1泊2日の新入社員研修も思い出のひとつです。研修センターに同期の面々と泊まり込み、外部講師の方による礼儀や電話応対、名刺の渡し方などの講義を受けました。内容は、社会人としての基本的なマナーが中心でしたが、学生とは違うのだと改めて実感し、社会人になるという意識が高まった瞬間でした。

そして何より印象に残っているのが、指導にあたった顧問からかけられた言葉です。「この会社のために育成しているのではない。世のために、未来のために役立つ人間になってほしいと思って育てている」。
人を大切にするMARUWAの教育、社風に心打たれた一言であり、今なお私の心の支えになっています。

CHAPTER 03海外での経験を糧に、道を切り拓く

無我夢中で走り続け、気がつけば入社から2年半ほど経過した頃。大きな転機が訪れます。マレーシアの工場へ出向き、製造ラインの品質改善を担うという重責を命じられました。現地には、自分を指導してくれる人がいるわけではなく、日本人も少ない。自分の判断、行動に巨大な工場の将来がかかっているという環境で、責任感と製造現場の感覚を養えたことは、自分にとって大きな財産になりました。

マレーシア勤務は当初、3年の予定でしたが、開発部門の強化という会社としての新たな方向性が示され、およそ1年で帰国。志半ばで仲間を置いて帰国することに名残惜しさはありつつも、自分自身で苦労しながら蓄積したことは、何ものにも代え難い経験になりました。
つい最近の出来事よりも鮮明に覚えているほど、強烈なインパクトのある1年でした。

CHAPTER 04たゆまぬ研究心で、世の中を驚かせるものづくりを

マレーシアから帰国後、入社当時から憧れていた開発部への配属が決まり、嬉しさを感じつつも、ゼロから生み出すということへのプレッシャーと不安を感じました。

粉を混ぜて焼成して評価をするというプロセスは、学生時代の研究の延長線上にはあるのですが、世界の第一線で通用する研究というのは次元が違います。自ら学び、先輩や上司に聞く。試したら、また学ぶ。その繰り返しです。入社4年目の異動は、新たな勉強のスタートでもありました。

今は、部下や後輩と意見を交わしながら、まだ見ぬテクノロジーの第一歩を踏み出すべく日々、研究、開発に取り組んでいます。想像したストーリー通りに実験結果が得られた時の達成感は、実験に熱中していた学生時代と変わりありません。

いつの日か、誰もが驚くような新しい材料を生み出し、世に送り出したい――。
学生時代に抱いたその夢は、今も続いています。